みんな!??!シン・ウルトラマン、観た!!?!!
私は公開4日目に劇場で見ました。公開された新作を一週間以内に劇場で観るの、実はこれが初めてだったりします。劇場で映画を観る回数が年に1・2回程度なので……。
(映画『シン・ウルトラマン』公式サイトより。(C) 2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 (C) 円谷プロ)
本題のシン・ウルトラマンについて特大感情を語る前に、私がまあまあ長くウルトラマンを好きでいるオタクであることに触れておこうと思います。オタクの脱線長文乱文なので、本題の映画の感想が読みたいぜ~!という人はすっ飛ばしてください。
ウルトラマンの奥深さ
私はウルトラマンが好きだ。
弱く小さい萌芽のような存在である人類を愛し、守ってくれる彼らが好きだ。
作品ごとに細かな設定は違えど、光さえあれば無限に活動できる高度な知的生命体であることは殆ど一貫しています。惑星の危機を救うために科学技術を高め、時に並行宇宙まで超えてやってくる彼らは、人類にとって圧倒的な上位存在と言えるでしょう。ですが彼らは見返りを求めることなく、人類を守ってくれるのです。強大な力と高度な科学力を、地球延いては宇宙の平和を維持するために使っている彼らを見ると、「ウルトラマンはこんなに人類のために尽くしてくれるのに私は……」と良心を揺さぶられて大の字になるのが常だったりする。
明らかに地球人とは異なる造形をした異星人であるのに、今まで“エイリアン”として捉えることが無かったのは、彼らのヒーロー性がその印象を上塗りしたからなのだと思います。
巨大な銀の体躯と発光する大きな瞳が特徴的な彼らには、地球人と違って表情筋がありません。本来、感情が汲み取れないはずなのに、ふとした仕草や俯き加減で微笑みや憂いを表せるのもまた魅力と言えます。一見鉄仮面にも見えるマスクですが、実際には能の能面に近い役割を果たしているのかなと。
ウルトラマンの造形やキャラクター性も好きですが、私が真に心惹かれているのは作中で描かれるテーマやメッセージ性にあります。
明るく美しい人間賛歌から、人間の驕りを描いた皮肉めいた話。人間のエゴで暴走する怪獣等、勧善懲悪に当てはまらないエピソードも多く、これらはウルトラシリーズ全体を通して程度の差こそあれ描写されています*1。
ウルトラ作品は時代を映す鏡でもある。
ウルトラセブン第26話「超兵器R1号」を例に挙げてみます。ウルトラセブンが放送された当時、世界情勢は長引く冷戦と悪化の一途を辿るベトナム戦争で、かなり緊迫していました。私はまだ生まれてもいない時代で、当時の様子は文献や教科書、当時の映像を見ることでしか知ることができませんが、先行きの見えない混迷した時代だったように感じます。「超兵器R1号」は、そうした情勢のなか取り上げられていた「核抑止論*2」への風刺が込められています。気になった人は是非エピソードを視聴するか、調べてみて下さい。
テーマ以外にも、子ども向けの分かりやすいシンプルな言葉だからこそ刺さるものがあるなぁとも思います。オーブ17話の「何かを守るってことは、何かを傷つける覚悟を持つってことなんだよ」とかね……。シリーズ全体を通して好きな台詞は色々ありますが割愛します。
数あるウルトラシリーズ作品のなかでも、幼少期にリアルタイムで視聴していたウルトラマンコスモスは私にとって心の支えと呼べる作品でした。
『主人公とウルトラマンの種族を超えた深い信頼関係』『怪獣(=他者)との共存』『許す強さ』といった描写は今も自分が好む作風の根幹にあるように思いますし、当時の人格形成に大きな影響を与えた作品だと感じます。
成人してから見返すと、子どもに寄り添った温かな作風、夢を叶えることの困難さやジレンマでもがく主人公:ムサシの姿に感情移入せずにいられないんですよね……。今でも主題歌を聞くと情緒が滅茶苦茶になるし。言うなれば親鳥のような作品です。
ウルトラマンコスモスが放送されたのは、2001年7月~2002年9月。ウルトラシリーズ最長の全65話、劇場版3作という大ボリュームの作品でもあります。
コスモス放送当時の世界情勢ですが、9.11同時多発テロ事件が起き、報復として米国のアフガン侵攻が開始(これが2021年まで続くアフガニスタン紛争の引き金となる)。翌年以降も緊迫した情勢が続き、テロの暴力の循環が社会に影を落とすこととなります。
そういった不安定な情勢の中で、『むやみな殺傷を避け、怪獣と人間の共存を実現させようと努める*3』コスモスは、当時の社会へのアンチテーゼと呼べる作品になりました。
コスモスの最終回は、宿敵のカオスヘッダーを殺さず救うという前代未聞のラストでした。
というのも、そもそもカオスヘッダーは争いの絶えない惑星に秩序を生み出すために作られた人工生命体。課せられた役目を果たす内にだんだんと力が歪み、創造主の星や生命体を脅かす存在となった云わば被害者でもあったのです。(尚、この設定を踏まえて1話を見るとカオスヘッダーもコスモス達光の巨人と同様『光の粒子』として描かれていたりする)
カオスヘッダーの目的は破壊や殺戮ではなく「秩序」をもたらすために全ての生物を一体化させること。創造主の意思(エゴ)で作り出され、あくまで創造主通りの意思で動いていた、という犠牲者の側面も有していました。人間に憑依し感情を学習したカオスヘッダーは、人間の怒りと憎しみを知ったことでより強力になっていきます。
作品終盤、カオスヘッダーは強い憎しみの力でコスモスを圧倒します。コスモスはムサシと分離し、カオスヘッダーと戦闘を始めるのですが、ムサシだけはカオスヘッダーとの共存を諦めませんでした。
心を理解したカオスヘッダーに対し、「もし人間の心が理解出来るなら。争いを憎む気持ちだって理解出来るはずだ」と考えたのはムサシだけだったのです。
1年以上戦ってきた宿敵との和解を、ご都合主義だと感じる人もいたでしょう。
ですが、私は当時ブラウン管TVで流れていたニュースの映像を今でも朧気ながら覚えています。終わらない紛争。家を失った人々の姿。長期化する争い。荒廃した土地を進む戦車の列……。
こうした情勢の中、コスモスが『他者を許す強さ』を描いたことは、子供向け作品として意義があると感じます。そしてこのラストはコスモスだからこそ描けたんだなあ…と。
あとEDの『ウルトラマンコスモス〜君にできるなにか』は本当に名曲なので心が疲労したときに聞いています(重いオタク)。
『Why なぜだろう? 誰かを救えるはずの力で 誰もがまた争う』の深みは今も噛みしめてしまう。
劇場版第3作目、ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLEの主題歌『High Hope』も名曲なんですよ。
『僕はこれからひとりで行ける 立ち止まりもせずに ずっと君の思い出と』『愛されたように愛してあげよう』『大切なもの 許せる力どうか君の心に』という歌詞が本編にリンクしすぎてオタクは語彙を失う。
ウルトラマンコスモスの名前は、「優しさの花」「無限の宇宙」「永遠の秩序」の3つの意味からきています。変身アイテムのコスモプラックも、変身時に先端パーツが花開くように展開されててなかなか凝ってるんですよ。
なのでプレバンのコスモプラック(8800円)は買う以外の選択肢はなかったのだ。
コスモスが終わると同時にウルトラマンからは離れ、作品を追うこともありませんでした。転機が訪れたのは2012年、たまたまチャンネルを回して放送されていたウルトラマン列伝を見てからです。
放送当時〇学生だった私はせっせと録画・ダビングして何度も見返し、列伝ブログを読み漁っていました。あの再編集番組があったからこそ、今ニュージェネレーションがあると思ってます。ありがとう列伝……。
シン・ウルトラマンという作品
話をシン・ウルトラマンに戻します。
そこそこ長くウルトラマンを見てきた私は、期待と同時に一抹の不安も抱いていました。
「シン・ウルトラマンは果たしてウルトラマンを全く知らない人でも、楽しめる作品たり得ているのか?」と。
庵野秀明のウルトラマンオタクっぷりを知っているがゆえに、オタクだけが楽しめる作風になっているのではないか、と心配だったのです。観終えてからもそれが少し気掛かりだったのですが、見に行ったTwitterのフォロワーさんが皆「ウルトラマン知らなかったけど楽しめました!」と報告していて有り難さに震えました。よかった~!!!!!!
ネタバレを踏まぬよう慎重に数日間を過ごし、迎えた鑑賞日。
「どう来る……一体庵野秀明は何を見せつけてくるんだ……!?!?!」とドキドキしながら座席に座ったのを鮮明に覚えてます。
観終えたとき真っ先に感じたのは、
ほんっと~~~にお金と強火解釈が注ぎ込まれた同人映画(褒め言葉)だこれ!!
でした。予想をはるかに超えるストーリーの面白さ、オマージュに児童誌ネタの回収など、ファン心をくすぐるネタが随所にあって本当に…見てて楽しかったし充実感が凄かった…。
個人的に、ウルトラシリーズは「長年見てるファンには伝わるお約束描写」がわりかしあるので、その独特なテンションを新規の方が楽しめるかどうか…と心配だったんですが、今作はそういったお約束要素を自然に話に落とし込んでいて安心しました。
(それでも回れば何とかなるをガッツリCGでやるとは思わなかったんですが…)
まず全編を通して、初代の作風である『短編を集めたようなオムニバス形式』が意識されてたのがとても嬉しかったです。かなり前にネットのコメントで見かけた『初代ウルトラマンは徹子の部屋のようなもの(=なのでゲストである怪獣や星人がメイン)』って表現が結構好きで印象に残ってるんですが、今作もその色を残していたなあと。
1本の映画ではあるんですが、その中でも4部ぐらいに分けられる気がします。ウルトラマン(リピア)の情緒面の成長や、禍特対との関係性の変化も描きつつ、怪獣や星人の個々の色は抜かりなく出してたのでめちゃくちゃハッピーになりました。
あと今作にバルタン星人が出なかったのは「そりゃ原典のエピソードがもろ移民問題でセンシティブだもんな…」…と一人で勝手に納得してました。でもバルタンが本筋に絡むエピソードは数年以内に見たい気持ち。
下記は箇条書きの感想です。
・冒頭からウルトラQの演出でもう内心ダッハッハッ!!!!!となってました。同伴者を振り落とす勢いで発進したオープンカーか? ウルトラオタクはタイトルコールとオープニング時のドデカタイトルに弱いのでここでもう心掴まれてしまうんだ……。
・神永が辞典を開いたシーン、過去作を履修してるがゆえに「アッ…もうこれはウルトラマンの意識になってる…」と気付いてしまった。この後も本を開くシーンが何回か挟まれてて、初代ウルトラマンの趣味『読書』を拾ってくれたのかな?とニコニコになっちゃったな…。
・ネロンガ戦では人間側の被害とか考えず倒すことに専念してたウルトラマンがガボラ戦以降建物やインフラ設備をできるだけ避けて戦ってるの愛おしすぎませんか?
・ザラブ星人との空中戦、あまりにも好きすぎて心の中でスタンディングオベーションしてしまった。夜景のビル群の間をすり抜けて飛んでるのも良いし、ウルトラマンの瞳が闇夜に映えるんだなあ…。他のウルトラ作品だと「絆のクリスタル」「さよならイカロス」の空中戦も滅茶苦茶好きです。板野サーカスは良い。
・メフィラスのスタイリッシュなリデザイン格好良すぎじゃないですか!?!?!多分Twitterかpixivあたりでライザップのbefore/afterをパロディした絵が上げられると思う(?)
・撤退するメフィラスの「さらば、ウルトラマン」を聞いて、ああゼットン…来てしまうな…と察せてしまって。オタクはこういう仕込みに弱い。
・ゾフィーが「ゾーフィ」として出てくるの、まんま児童誌設定で内心めちゃくちゃ笑ってしまった。令和の世になってまでゾフィー兄さんの風評被害増えることある?????そこまで徹底的に『知っている人は知ってるネタ』を拾って符号を合致させてるは思わないじゃん!!!!!トサカも黒いしさあ。
・多数のマルチバース宇宙で人類が兵器として有用だと広まったことで人類根絶を選ぶゾーフィ、いや~~~~滅茶苦茶良い。広大な宇宙の均衡を維持するために、将来手に負えない脅威となるであろう芽を、花開く前に摘んでしまう感じ…。こういった上位生命体が下位生命体に下す合理的で無慈悲な判断好きすぎて困っちゃうな。
・天体制圧用最終兵器ゼットン、これもまた良い………。令和の畏怖と脅威としてのゼットンだこれ。純粋に「(ウルトラマンが戦っても)こんなん勝てっこないじゃん…」って本能で観客に理解させるスケールが良い。実質まどか☆マギカにおけるワルプルギスの夜ですよ。あと原典では地上に降りてたゼットンが宇宙空間にいるままなのも良かった。このリアリティに沿った世界観の中で1兆度の火球を地上に降りてから放ったら確実に巻き込まれると思うので。
・リピア、恫喝が下手っぴなのよね。その気になれば地球を滅ぼせるってのは事実だけど実行には移さないことは彼の人柄を知ってる人ほど分かっちゃうだろうに…そういう甘さも愛おしいよ
・リピア、こんなに命を懸けて戦っていても尚「人間のことは分からない」「それでも知りたい」って姿勢なの、愛おしすぎて観ながら心がめためたになってしまった。何が刺さるって今作の人類、美点である『善良さ』はさほど描かれてなくて、リピア自身も人間の醜さ/ずるさ/欲深さを知っているんですよね。それでもなお人間を守りたいと思うの、愛と呼ばずして何と呼ぶ。やっぱりウルトラマンは神様じゃなくて一人の異星人、ひとつのいのちなんですよ…ウ…
ラストの展開について
※序盤でのファーストコンタクト以来、神永とリピアが融合してる(神永の肉体にリピアが宿っている)解釈で書いてます。
リピアと神永の出会いが初代ウルトラマンのオマージュだった代わりに、その結末が初代とは違うのがリブート作品ならではの良さだな…って噛み締めてました。
護送中に逃げたベムラーを追っていたところハヤタと衝突(ほぼ事故というか過失致死…)し、彼を死なせてしまった申し訳なさに融合する初代ウルトラマン。シン・ウルトラマンでは、逃げ遅れた子どもを助けた&リピアの着陸時の衝撃波からも子どもを守った神永の行動に興味を抱いて融合してるんですよね。
ウルトラマンが飛来したことで主人公が亡くなってしまう点は初代もシンも共通してるけども、『主人公の行動に惹かれて地球人に興味を持つ』って点は初代と明確に違ってて良いなぁ~!と感じます。
あと「融合時に主人公(地球人側)の意識があるかどうか」の解釈も結構深掘りされてる…となってた。初代のハヤタ、実のところ“ハヤタの意思”があったかどうかは定かじゃないんですよね。融合後~39話で分離するまで初代が演じてた可能性もあるっちゃある(実際39話でウルトラマンが分離した後、ハヤタはウルトラマンとして活動していた頃の記憶をすべて失っていた)。シンは融合後ずっとリピアの意識になってるのが分かりやすくて良いなぁって思います。
そして、リピアの献身さと地球人の懸命さに心打たれたゾーフィがリピアの願いを聞き届け、神永とリピアが分離するラスト。ラストの解釈は見る人に委ねられてて明言されてないかな?(それはそれで色んな解釈に触れられて良い)って印象です。
私個人は『本来死んでいるはずの神永の肉体にリピアが宿っているため、リピアが離れると神永は死んでしまう→リピアの命を与えることで神永が復活する』って解釈です。でもラストで神永が目を覚ましても、記憶はネロンガの襲撃時で止まってるのかなあ…。そもそも神永は子どもを追うのに夢中で銀の巨人を視認してない(寿司の朧気な記憶)ので、リピアの姿すら知らない可能性も大いにある。つらい。
劇中で死亡or行方不明扱いになったウルトラマンはわりといるけど、「命を他者に与えて役目を終えた」ウルトラマンはリピアが初めてな気がするんですよ。ウルトラマンレオにおけるセブンも、ダイナラストのアスカも行方不明扱いで死んだと明言されてはいないんですよね。(実際後継の作品で復活してたり無事が判明してたりする)
初代ではゾフィー(シンウルしか観てないよ~!な人向けに説明すると原典のゾフィーさんは味方です)が命を二つ持ってきて解決するけど、そうはしなかったラストがまた切なくて良いんだ…子ども向けじゃないもんな…でもゼットン戦後のリピアと神永の会話見たいよ~~!(こころがふたつある)
友情とともに描かれていた『人間愛』
シン・ウルトラマンの何が良いって、リピアが人間に関心を抱いて、知りたい、守りたい……と心が変化していく過程がすごく丁寧に描かれてるところですね。
シン・ウルトラマンにおける『ウルトラマン』も、過去シリーズ同様に見返りなく人類を守り、愛してくれる存在として描かれているんですが、それと同じぐらい『人間と同じ、ひとつのいのちを持つ存在』って対等な存在としても描写されてるんですよ。
けっしてウルトラマンが万能の神ではないことが叩きつけられる終盤のゼットン戦。リベンジの作戦で、成層圏を突破し作戦を実行するウルトラマンの姿は本当にハラハラしましたし、「死なないでほしい……」と願わずにいられませんでした。
ウルトラマンがここまで人間のために命を賭して戦って愛してくれるのって、彼が神だからではなく、ウルトラマンが人間を好きだからなんですよね……。
ウルトラシリーズで度々取り上げられるウルトラマンの神秘性ですが、ウルトラセブンの頃には既にあったような気がします。そこをシン・ウルトラマンは敢えて地球人と対等な存在として描いたのが本当に良いんだ…。
語りたい部分(とくにリピア関連)はまだまだありますが、今回はひとまずこの辺にしておきます。観終わってからM八七聴くと「今に枯れる花」がリピアに重なってしまって……あとリピアの花言葉が「誠実」「絆」「私のことを思ってください」なのを知ってオタクは情緒が滅茶苦茶になりました。そんなに美しい符号があるか。
本当に、劇場で見ることができて良かったと思えました。
これからももっと色んな人に見てもらいたいし盛り上がってほしい……!
興行成績次第だとは思うのですが、シン・ウルトラセブン、シン・帰ってきたウルトラマンも……私は何年でも待ちます……。